ゾロは約束は絶対に守る、と、言う。
その約束のために死んだら、元も子もないじゃないといえば、
お前にはわからねぇと、ナミの理解を突っぱねる。
悔しくなって殴りつけたらいつも通りに怒鳴り返してくるので、
少し安心する。
許してやろう、と、密かに思う。

サンジはゾロのその意思を理解しようとする。
だけど、時折苦しげに息を吐く。
ゾロは気づかないふりをして傷を増やす。
だから、ナミはサンジのかわりにゾロを殴る。
ゾロは怒る。
それで、少し安心する。
大丈夫よ、と、密かに思う。










                                 * * *












お父さん。それから、お母さん。
チョッパーはひどく真面目な様子でそれを、クレヨンで白紙に書いた。
ピンク色のお母さん、青色の、お父さん。

「何してるの」

もう砂漠の暑さは感じない。昨日の暑さが嘘のようにさわやかな風が吹く海上。
階段を下りながらナミが問うと、代わりにルフィが振り向いて、ママゴトだ、と言った。

「ままごと?」
「ママゴトだ」

今度はチョッパーが大仰に頷いて言うので、ナミは首をかしげた。
チョッパーの正面で、いつの間に目を覚ましたのか、朝食にはいなかったはずの
ゾロがこれも真面目な様子でチョッパーの手元を覗いていて、
ナミは妙に優しい気持ちになりながら、チョッパーの横にしゃがみこんだ。

「ままごとって、ままごと?」
「ママゴト」

ウソップが、教えてくれた遊びなんだ。ママゴト。
言い馴れないのか不自然な発音で言うチョッパーに笑いながら、ナミはその紙をみた。
たどたどしい文字。

「これ、どうするの」
「裏返しにして、ルフィと、ゾロに、ひいてもらうんだ。俺が、子供なんだ」
「サンジはペットのポチに、さっき決まったんだ!そんで、ウソップは、チョーナンなんだ!」

エッエッエッ。嬉しそうに口元を隠し笑うチョッパーにかぶさるように、ルフィも声を張り上げる。
キッチンへ目をやれば、開いたドアから背中に「ポチ」の張り紙を付けられたコックが見えた。
ウソップも同じように「むすこ」の張り紙を背中に、釣りをしている。

「よし、じゃあ、一緒にひくんだぞ」

ルフィの言葉に神妙に頷いて、ゾロは紙の上に手を置いた。
ルフィも同じようにして、せーの、と、一気に裏返す。

ゾロの手には、ピンクの文字。

ルフィが嬉しそうに、俺はお父さんだと叫んだ。


おかあさん、と呟くゾロにひどく温かい気持ちになって、ナミは微笑んだ。

「お母さんだって、あんた」

ゾロは少し困ったようにナミを見上げて、だなぁ、と言った。チョッパーが早速、お母さん!といってゾロの背中に
へばりついたから、それじゃいつもどおりじゃない、とナミは笑った。

「違うぞ、俺は子供だから、今日はもっともっとゾロに甘えるんだぞ」

なぁ、とチョッパーが真面目な顔をしてゾロに同意を求めると、ゾロは苦笑して、ああ、と言った。
ナミはすぐにゾロを抱きしめたい衝動にかられたのだけど、それよりも先に
コックと船長の乱闘が始まり(理由はコックが不機嫌に「片付け手伝え」とがなるのに、
ルフィが「ポチお座り!」と答えた、とか、そんなことで)、
その場は騒然となってしまった。ゾロがチョッパーを肩に担ぎ上げてそれを回避していた。









                                
 * * *












ゾロが、おひるねの時間だ、と言うチョッパーの腹の辺りをぽんぽんとあやすゾのにルフィが
絡んでいるのを、食事で口の周りを汚しているチョッパーとルフィまでの世話をしているのを、
ナミは克明に見ていた。
最初から最後まで、ゾロは柔らかい瞳をしていた。食べかすをちらすチョッパーに
口を閉じて食え、と神妙に言う様は温かかった。サンジが、それを見て笑うのを
ゾロが不満そうに見やって、すぐにつられて笑った。愛しかった。
チョッパーの(そして抱きついてきたルフィの)頭を撫でるゾロの腕の包帯が、
白くナミの目を打った。












昔、サンジが泣いているのを見たことがある。
ゾロと二人キッチンで、サンジがひどく悔しそうに、泣いているのを、
ゾロはただ黙って見詰めていた。
なんでだ、と、サンジは言った。
ゾロは答えなかった。
なんで、そうやって傷ばっか作って、お前、いつか死ぬぜ、なぁ


ゾロはやっぱり、黙っていた。











おやつです、と温かい匂いをさせてやってきたサンジに、
ナミはありがとうと微笑んだ。
ゾロがチョッパーのことをあやしているのが視界の端に見えた。

ナミはじ、とサンジを見詰めた。



悲しい、と言ったのよ、
あの男が




そのことに改めて気づかされた自分にぞっとしたわ
悲しい、と言ったの、確かに、言った

悲しい、と






チョッパーのはしゃぐ声が聞こえた。ゾロの柔らかい仕草。








                                 * * *














夜が近づいていた。
男部屋に差し込む光は弱弱しい。
チョッパーとルフィはぐっすり眠っているようだった。
あれだけ騒いだのだから当たり前だと思いながら近づくと、
チョッパーとルフィをあやしていた手を止めて、ゾロが振り返った。

「寝ちゃった?」
「ああ」

ルフィまでだぜ。どこがチチオヤだよ。笑うゾロに微笑み返して歩み寄る。

どうした、と問う声が優しくて、ナミは、何よ、あたしは子供じゃないわよと言った。
ゾロは笑った。子供はチョッパーとルフィだけで十分だな、言いながら、密かに
腕をかばうようにして座りなおした。ナミは、見逃さなかった。

ゾロの正面にすとんと腰を下ろすと、ゾロは昨日と同じように優しい目でナミを見た。
ナミはまっすぐにゾロを見た。言葉はなかなか出てこなかった。
あの、あのね、あの




(お母さん、とか、お父さんとか)

(ゾロの、お父さんと、お母さんは)





ゾロは優しくナミを見ていた。
その無言の問いかけに結局ナミは何もいえなくなって、俯いた。目の前が淡く濁った。
ゾロの、包帯の巻かれた腕が見えた。


言葉の代わりに、ナミは黙ったまま、そろそろとゾロの腕を両手で包んだ。
ゾロが微かに戸惑いを見せたのを横目で見ながら、包帯に包まれたそれをそっとなぜる。
傷を見せてと言うと、ゾロは素直に包帯をするすると取った。
赤い、生々しい傷。まだふさがっていない其れは、以前みた足首と同じ色だった。
それに、ナミはゆっくりと、指を這わす。

「痛い?」

ゾロは頷いた。

「痛いのね?」

ナミがゾロの顔を見て確認すると、やっぱり頷いて、けれど、その顔は無表情だった。
目だけが、ナミに対してか、何かに対してかわからないけれど、ひどく慈悲深い色をしていた。

ナミはまた、唐突に悲しくなった。



チョッパーをあやすゾロの仕草が、眼差しが思い出されて、ひどく悲しかった。






「あたし、ゾロのお母さんだったら良かったわ」

ゾロの熱い手を包み込んで額に当て、ナミは搾り出すように言った。

「あたしがゾロのお母さんだったら、もっともっと、愛してあげたわ」

「あたし、ゾロのお母さんだったら、良かった」


ゾロは、お母さんか、と言って、少し笑って、けれど、もう片方の手で優しく
震えるナミの肩を撫でた。

握った手の熱は、温かかった。
この手を離すものか、と思った。



「泣くなら、お前のために泣けよ」

ゾロが真摯な様子で言ったので、ナミは首を振って、あたしはあたしのためと、
ゾロのために泣くわと言った。

あたしは、ゾロのお母さんになりたい。

ゾロは少し茶化すように、でも愛しげに、お母さんか、とまた呟いた。
ナミは鼻をすすって、ゾロを見上げた。


「だって、お嫁さんはダメでしょう、それは、サンジ君でしょう」

あたし、知ってんのよ。

意地悪く笑うと、ゾロは驚いたように目を見開いて、すぐに頬をほんのりと染めてうるせぇ、と俯いた。
あんまりに可愛くて、ナミは今度はゾロの頭をぎゅぅぎゅぅと抱きしめた。

ひどく、愛しかった。


愛してるのよ、と言うと、ゾロはぎこちなくナミの背中に手を回した。





ああ、どうか、この男が、幸せでありますように
今、ここで、孤独でありませんように
寒くありませんように
悲しくありませんように


どうか、どうか、あの男が、ゾロにどろどろに、優しくありますように。
笑顔でいさせてくれますように。
どうか、ゾロがあの男を、甘く甘く、一番に愛しますように。
幸せでいられますように。



思って、ナミは目を伏せた。










ドタドタと外で騒がしい音がして、すぐにサンジが夕メシだと怒鳴っているのが聞こえた。
二人で額をつき合わせて笑った。
ルフィが目をこすりながら身を起こしたので、それにも笑った。

ゾロがチョッパーをかついで、ルフィとゾロとナミで、手をつないで食堂に向かった。
サンジが片眉をあげてそれを見たけど、ナミは気づかないふりをして、席に着いた。


正面に座ったゾロに微笑みかけると、ゾロも目元をゆるませた。



「いただきます!」



掛け声とともに食事が開始され、ナミはかいがいしくルフィの世話をしながら、横目で正面を伺った。
サンジが何事かゾロにささやいて、それにゾロがふて腐れたように、けれど頬を染めて頷いたのが見えて、
こっそりと微笑んだ。



ああ、どうか、この男が、幸せでありますように
今、ここで、孤独でありませんように
寒くありませんように
悲しくありませんように


柔らかい傷を癒すのが、どうか、あの男でありますように。




サンジが何か気づいたようにナミをみて、微笑んだ気がした。













悲しい、痛いゾロ
と、それに改めて気づいたナミのはなし