ゾロの傷を見て、ナミは痛そうに顔をしかめた。
そんなにいやならあっち行ってろよとゾロは言ったけれど、ナミは動かず、
身体を硬くして眉を寄せながら、それでも、最後まで見届けた。
胸の前で握った手は汗でじんわりと湿った。
ゾロが縫い付けおわった糸をぷちりと切ると、ナミはようやく身体から力を抜いて、ほう、と息をついた。
足首の、縫い付けたばかりの生々しい傷跡。ゾロは涼しい顔をして、よし、と言った。








柔らかい傷跡












この男は痛みに鈍いのだと思う。
すぐに傷を増やして帰ってくるし、すぐに死にかける。
あんた怪我舐めてんじゃないわよ死ぬわよと言えば、
お前は俺を舐めんじゃねぇと返してくるから全く嫌になる。

サンジは、そんなゾロをひどく責める。
そのたびに、ゾロは鬱陶しそうにサンジを邪険に扱う。
結果、二人の大喧嘩の収集をつけるのはナミの役目になるのだ。
全く、嫌になる。



それをウソップに愚痴ったら、しょうがねぇよと笑った。
そんなゾロに俺達は守られてんだからよ、しょうがねぇよ、
それに、あいつらの喧嘩で被害こうむってんのは俺もだぜ、船の修理代だってバカにならねぇ。

そのまま、代金を請求されそうになったので慌てて逃げた。

しょうがないから今度はビビに愚痴ったら、彼女は強い瞳をして、甲板で鍛錬中のゾロに目を向けた。
彼は強いわ、彼の野望への意思が強すぎて、それ以外のことはおなざりになるから、
彼はすぐに傷つくのだと思う、そんな彼のことが、サンジさんはわかっていてもとても心配なのよ、
とても、とても、だから、あんなふうに喧嘩になると思っても、彼を責めるんだわ。

ナミは、ええ、そうね、と小さく呟いた。ビビはふ、と笑ってナミを見た。

それに、ナミさん、Mrブシドーは、本当に痛みに鈍い?
本当に、痛いと思わないのかしら、辛くないのかしら?

ナミはわからなくなって、結局黙り込んでしまった。






                                 * * *








いつか、ルフィがいかにも面白いという風に、ゾロとの出会いの話をしたことがある。

「ゾロがよぉ、踏んづけられたおにぎり、食うっつーから、俺、ビビったよ!」

ルフィの言葉に、ウソップとチョッパーはうへぇと顔をしかめ、ゾロは苦笑を漏らした。

「そんでさー、なんで捕まってんのかって聞いたらさぁ、約束だって言うんだよ」

ナミはサンジが差し出した紅茶に口をつけながら片眉を上げた。
ルフィは身振り手振りで話を続ける。

「約束したから、ぜってー一ヶ月飯抜き水抜きで生き残るんだって」

すげぇぇぇよなぁ。全く感心しきったというような声に、ナミは目を伏せてカチリとカップを机に戻した。
ゾロはああそうだったかなぁと曖昧な返事をし、ビビは口に手を当て、チョッパーは健康上の注意を忘れず、
ウソップはそういえば俺もかつてとチョッパー相手に得意の嘘を述べ始めた。
サンジは煙草を銜えてとんだバカ野郎だと低く呟いた。
ナミが間抜けね、と言うとゾロははははとまるで取りあわない様子で笑った。
腹が立った。
約束約束って、あんた、死ぬわよ。ナミの険のある言葉にも、そうかもしれねぇなぁと言うだけで、
ウソップが、まぁ昔のことなんだから良いじゃねぇかとまとめて、そのまま皆それぞれ散った。





「結局のところ、あいつは痛み何も感じないし、周りのことも考えてないのよ」

苛立ちを隠さず言うと、ビビは花のように笑った。
そうなのかしら、と、否定も肯定もせず、ナミを荒立たせることもしなかった。
ナミさんは、Mrブシドーが心配なのね、と笑った。

彼女は、往々にして聡明だったし、人の感情に、とても、かわいそうなくらい、敏感だった。
彼女の強さはナミを勇気付けたし、支えてくれた。





だから、彼女との別れは、ナミをひどく悲しませた。
彼女は偉かったと思うのに、ひどくひどく悲しくて、
皆で、独りで、枯れるまで泣いた。

ゾロは、そんなクルーを横目に、進路の、その先を眺めていた。
腹がたった。
何も感じないと、そんな横顔。


ビビはもういない








                                 * * *









宴は騒がしかった。
立派だった彼女のために、そして勝利に、と船上で、元来宴好きのクルーは涙を吹き飛ばして
飲み歌い踊った。もうビビはいない。ルフィウソップチョッパーはヨサクダンスの最中だし、
結局ナミは飲むしかすることがなくなってしまう。

ゾロは、とついと周りを見回すと、年少組をはさんだ正面、
彼はまたもサンジとの喧嘩の真っ最中で、
サンジが何かを低く呟いたのに、ゾロは眉を寄せて俯いていた。その手はお互いの胸倉で、
ああ、また、あたしが止めなきゃいけないわけ?こんな日にまで、もう、本当に腹が立つ。
思って、立ち上がると身体がよろけ、床に転がっていた瓶を何個も転がした。
くらくらしたまま前に進むと、何度も転びそうになった。


いち早くそれに気づいたウソップが慌てて争う二人に声をかけるのが聞こえ、
すぐにナミを温かい腕が支えた。サンジだと、ナミは思った。
思ったのだけど、それはかぎなれた温かい血の匂いで、ナミは少し驚いて目線を上げた。
やっぱりそれは、ゾロだった。お前、そんなになるまで飲むんじゃねぇよと、言う。
呆れ気味の声にむっとして、頭をはたけば睨まれた。
なによ、少しも怖くないわよ、あんたなんか


おぶりなさいよ
横柄に言えば、俺に命令すんなと言いながらゾロはナミを立たせた。
ナミは少し嬉しくなって、ふふふと笑った。
ゾロはこの酔っ払いが、と悪態をつきながら、ナミを容赦なく肩に担ぎ上げて、
それもまた、腹が立つようで少し嬉しくて、ナミはこっそり笑った。
酔っ払っているという自覚はあった。
目の前の背中は血のにおいがした。



サンジが、ああナミさんをそんな風に抱くんじゃねぇよ優しく、柔らかく、ああお前、わかってねぇなぁ
俺が代わってやる、ナミさんを扱うなら丁重に、と煩く言うのが聞こえて、
サンジに渡される前に早く、と足をばたつかせてゾロを急かせた。
ゾロはあぶねぇと言いながらナミの足をもう片方の手で押さえて、
サンジは断末魔のような悲鳴を上げた。お前、その手でナミさんのおみ足に触れてんじゃねぇよ!

ゾロは足早にそこをはなれた。










それに、ナミさん、Mrブシドーは、本当に痛みに鈍い?
本当に、痛いと思わないのかしら、辛くないのかしら?













ゾロは乱暴に扱うように見えて、優しくナミを運んだ。
慣れた、けれど久しいベッドに横たえられて、ナミはまたふふふと笑った。

「ゾロ」
「なんだ」
「ゾーロ」
「なんだこの酔っ払い」

ゾロは律儀に返事をする。可愛い男め、とナミは思った。

「あんたってほんっと、いっつもむすっとしてるわよねぇ」

しみじみ言うと、ゾロは思い切り眉を寄せて、あぁ?と言った。
それにまた笑いながら、ナミはゾロの頬をゆるゆると撫でた。

「ねぇ、泣いてみて」

今すぐ。ゾロは馬鹿言うなと言ってナミの頭をぽんぽんと叩いた。
早く寝ろこの酔っ払い。

「良いじゃない、泣きなさいよ」
「いやだ」
「ねぇ、泣いてよ」

ゾロは眉根をぎゅうと寄せた。その口が文句を吐き出すより早く、ナミは瞳を真摯に覗き込んだ。

「泣いて」


ゾロのぱくりと開いた口は閉じて、かわりに、片眉が上がった。


「泣いて?」




「…何でだ」

結局、真剣さには真剣さで答えてくれるこの男が、ナミは好きだ。
ナミは微笑んで、手の甲を瞼に当てた。

「泣いて欲しいの、悲しんで欲しいのよ」

ビビがいないことを。
あの子がもういないことを。


ゾロの熱い手がナミの肩を優しく、あやすように撫でた。

「そうやって、何ともないような顔をしてるのって、周りも傷つけるんだから」

吐き出すように言うと、ゾロは殊更手の動きを優しくして、苦笑の息を吐いた。
お前も、あの阿呆も、似たようなことを言うんだな、と小さく呟いた。
その声は予想以上に弱かった。

「泣くとか、悲しむとか、なぁ。」

ゾロの声は苦しげで、ナミは鼻をすすりながら手の甲を目の上からずらした。
困ったように笑うゾロの顔が見えた。

「そういうのは、苦手だ」

ゾロは、苦しそうに言って、少し笑った。

「悲しい時の泣き方とか、よく、わからねぇんだよ」


その顔があまりに切なげだったので、ナミは思わず手を伸ばして、ゾロの頬をなぜた。
ゾロは顔を上げてナミを見て、柔らかく笑った。

「どうして?」

ナミの声は掠れた。ゾロは意地悪く笑いながらナミの鼻をつまんだ。
それを払って睨みつけると、心底おかしそうに笑う。

「そういうのは、お母さんとか、お父さんとか、そういう、周りの人が教えてくれるものじゃないの?」


ゾロは、また優しく、ナミの頭を撫でた。優しく、優しく。
それで、静かに口を開いた。


「親は、いねぇ。」


言って、苦笑する。同情をやんわりと拒む笑顔だった。

帰ってこなかったからな



どこから、とか、どうして、とか、わからないまま、ただナミは悲しくなってナミの頭を撫でる
ゾロの手に自分の手を添えた。

「だから、元々よくわからねぇ、そういうのは」
それに、そんなことを表していたら死に落ちる、そんな旅をしていたから、余計にわからなくなった。

「別に悲しくないわけじゃねぇし、さびしい。ただ、あいつは立派だったと思う。だから、泣かねぇ」

取り成すように言って、ゾロは笑った。



ナミは唐突に悲しくなった。同時に、驚いた。
この男が悲しいと感じることに、その事実に、はじめて気づいたような気がした自分に、ぞっとした。
唐突に悲しくなった。
ナミの身体を何か熱くて切ないものが駆け巡っているようで、心臓がきりきりと泣いた。
ビビの言葉を思い出した。


ゾロ、と呼ぶ声は、情けなく震えた。
悲しみと、慈しみの色にぬれていた。
ゾロは笑って、ナミの頭をくしゃりと撫でた。

「もう、寝ろ。疲れたろ」

扉の外で、まだルフィたちが騒いでいる音が聞こえた。
夜の空気は、まだじっとりと熱い。

頷いて、布団の中で丸まった。
眠るまで、そばにいてとささやけば、ゾロが息で笑ったのが聞こえた。
ゾロの手を胸に抱いて、眠った。







ひどく悲しい、愛しい夢を見た気がした。





















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書きたいもの書きたいものでやってたら
だらだら長くなってまとまりがなくなっちゃった!